嗚呼…

石巻市のみなさんに少しでも元気を…という願いで復興支援花火実行のため再び訪れた
いつもの拠点となる石巻市立湊小学校はすでに全員仮設住宅に移った後でただ粛々と県議会議員選挙の投票が行われていた

我々は 初めて石巻市立大川小学校へ向かった
幾度となくマスコミに紹介された被災小学校だ

現場に着き 我ら全員 言葉なく ただ ただ
佇むしかなかった

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「巨大な津波によって全校児童のおよそ7割が亡くなったり、行方不明になったりしている宮城県石巻市の大川小学校で、 児童らは教員に先導されて高台に避難を始めるまで、およそ30分、校庭で待機していたことが明らかになりました。
 津波に飲まれながら奇跡的に助かった児童がそのときの様子を語りました。

 石巻市の大川小学校は2階建ての校舎を超える高さの津波に襲われ、全校児童108人のうち、68人が死亡、6人が行方不明に なっており、学校や教育委員会は当時の様子について、助かった児童や教員などから聞き取り調査を進めています。
 これまでの調査で、地震が起きたあと、校舎内からグラウンドに出た児童らは、学校から200メートルほど離れた高台に 避難を始めるまで、およそ30分待機していたことが分かりました。
 津波に飲まれながらも奇跡的に助かった現在6年生のTくんは、父親とともにNHKのインタビューに応じ、「先生たちは グラウンドの前でずっと話し合いをしていた。そのとき、先生は『大丈夫だからな』とか言っていた」と話しました。

 当時、学校には子どもを引き取るため保護者も大勢集まっていました。
 さらに学校は石巻市が指定する避難所になっていたため、近所の人たちが避難してきており、グラウンドではたき火の準備も 始められたといいます。
 そして、児童らが高台に向かって移動を始めた直後に津波に襲われたということで、そのときの様子を「様子を見に行っていた 教頭先生が堤防から走ってきて、もう津波来てるみたいだから早く逃げてくださいって。そこから小走りに逃げた」と話しています。 」
(以上webからの引用)


悲しみとか つらさとか 悲惨とか
言葉では表せない

ただただひたすら 学校の脇にうず高くく積まれたがれきを見つめ続けるだけでした
大川小学校9.jpg


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