知多へ [散歩]
小学生のころ知多へは
遠足やら臨海学校やらで
行った記憶がある
愛知県南部の 長靴のような半島
近くには中部国際空港セントレアがある
ここは 刈谷の町だったか 定かではない
造り酒屋にて
これは なんだったのだろう
かったるい
時間が
この子たちは 海の向こうに
何を見つけたのだろうか
遠足やら臨海学校やらで
行った記憶がある
愛知県南部の 長靴のような半島
近くには中部国際空港セントレアがある
ここは 刈谷の町だったか 定かではない
造り酒屋にて
これは なんだったのだろう
かったるい
時間が
この子たちは 海の向こうに
何を見つけたのだろうか
タグ:知多
中山道ぶらり(7) [散歩]
当地から木曽御嶽山までは まだまだ距離がある
御嶽山は 言わずと知れた山岳信仰の霊峰
いつの頃からかは不明だが
多くの信者、行者たちが御嶽山を目指してこの中山道を往来したのは想像に難くない
はたして ここから
何日を要したのだろうか
旧中山道沿い 牧坂(槇坂)にある御嶽神社
道沿いの小さな祠だけど
長い年月の積み重ねを感じさせる
ここで一息入れながら
まだまだ遥か先の霊峰を拝がみたのか
※ 御嶽教
御嶽山を信仰根本道場としている。
江戸時代に覚明行者が黒沢口登山道、普寛行者が王滝口登山道を開闢する。
御嶽大神を崇拝する。
経典は「御嶽教経典」、準経典が「御嶽教神拝詞集」と「御嶽教信仰規範」。
祭神は国常立尊、大己貴命、少彦名命の三柱の大神を奉斎主神として「御嶽大神」と奉称し、木曽御嶽山の 開闢大道彦たる覚明、普寛の二霊神を崇敬神として「開山霊神」と奉称する。また天神地祇八百万神を配祀 神としている。
修験道を起源としているが仏教色は薄く祭祀も神道に準じている。
御嶽山は 言わずと知れた山岳信仰の霊峰
いつの頃からかは不明だが
多くの信者、行者たちが御嶽山を目指してこの中山道を往来したのは想像に難くない
はたして ここから
何日を要したのだろうか
旧中山道沿い 牧坂(槇坂)にある御嶽神社
道沿いの小さな祠だけど
長い年月の積み重ねを感じさせる
ここで一息入れながら
まだまだ遥か先の霊峰を拝がみたのか
※ 御嶽教
御嶽山を信仰根本道場としている。
江戸時代に覚明行者が黒沢口登山道、普寛行者が王滝口登山道を開闢する。
御嶽大神を崇拝する。
経典は「御嶽教経典」、準経典が「御嶽教神拝詞集」と「御嶽教信仰規範」。
祭神は国常立尊、大己貴命、少彦名命の三柱の大神を奉斎主神として「御嶽大神」と奉称し、木曽御嶽山の 開闢大道彦たる覚明、普寛の二霊神を崇敬神として「開山霊神」と奉称する。また天神地祇八百万神を配祀 神としている。
修験道を起源としているが仏教色は薄く祭祀も神道に準じている。
中山道ぶらり(6) [散歩]
ご近所中山道ぶらり(4) [散歩]
蒸し暑い 午後
ダイエットを兼ねて(?)カメラ散歩
こんな時は 旧中山道沿いについつい向かう
田植えも終わり
梅雨の中休み
田に人影もなく
風が 心地よい
旅人は
こんなせせらぎを見つけては
埃まみれの体の汗を流したのか
島崎藤村の「夜明け前」の舞台ともいえる 中津川市
ともいえる というのは
長野県の山口村と全国でも珍しい越県合併して
本当の舞台である長野県山口村馬籠地区が 岐阜県中津川市になったからである
心情的には両県とも忸怩たる思いはあったのだろうが
ともかく 今は 中津川市
当然 中山道 木曽路の玄関口として 市内を旧中山道が貫く
面影を残しつつ 処によっては 新しい街並みにかき消されたりしながら
それでも
のらりくらりと
次の落合宿 馬籠宿 妻籠宿へと続く
ダイエットを兼ねて(?)カメラ散歩
こんな時は 旧中山道沿いについつい向かう
田植えも終わり
梅雨の中休み
田に人影もなく
風が 心地よい
旅人は
こんなせせらぎを見つけては
埃まみれの体の汗を流したのか
島崎藤村の「夜明け前」の舞台ともいえる 中津川市
ともいえる というのは
長野県の山口村と全国でも珍しい越県合併して
本当の舞台である長野県山口村馬籠地区が 岐阜県中津川市になったからである
心情的には両県とも忸怩たる思いはあったのだろうが
ともかく 今は 中津川市
当然 中山道 木曽路の玄関口として 市内を旧中山道が貫く
面影を残しつつ 処によっては 新しい街並みにかき消されたりしながら
それでも
のらりくらりと
次の落合宿 馬籠宿 妻籠宿へと続く
ご近所中山道ぶらり(3) [散歩]
ご近所中山道ぶらり(2) [散歩]
ましかく散歩(2) [散歩]
ここらは生まれた地といっても
3才くらいまでいただけ
だからほとんど覚えてない(当然)
ただ
近くに小学校か何かあって
近所のおねーさんに遊んでもらった記憶が少し
どこを
たどっても
特別
何も思い出せないが
ただ一つ
自分にとって大切なトラウマが
近所の八百屋みたいな所で
その川縁の部屋で
浮き輪をあてがわれていて
ほったらかされていて
浮き輪をしたまま
落ちたそうな
そう
下の川の
河原に
大した高さじゃないが
今になって見てみると
当時の身長比からいうと
結構…なもの
それ以来
完全な高所恐怖症
脚立はせいぜい三段まで
建前のお手伝いでは
おまえは上がらなくていいと断られ
イベントの仕事でのPAセッティングなどは
まるで役立たず
けど
岩壁登攀には めちゃあこがれる
3才くらいまでいただけ
だからほとんど覚えてない(当然)
ただ
近くに小学校か何かあって
近所のおねーさんに遊んでもらった記憶が少し
どこを
たどっても
特別
何も思い出せないが
ただ一つ
自分にとって大切なトラウマが
近所の八百屋みたいな所で
その川縁の部屋で
浮き輪をあてがわれていて
ほったらかされていて
浮き輪をしたまま
落ちたそうな
そう
下の川の
河原に
大した高さじゃないが
今になって見てみると
当時の身長比からいうと
結構…なもの
それ以来
完全な高所恐怖症
脚立はせいぜい三段まで
建前のお手伝いでは
おまえは上がらなくていいと断られ
イベントの仕事でのPAセッティングなどは
まるで役立たず
けど
岩壁登攀には めちゃあこがれる