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村人の優しい思いに包まれて… [木曽路]

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この赤はよだれかけか腰巻か…
まっさらの赤でした。

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木曽路にも
まもなく春が訪れるのでしょう

木曽郡大桑村 岩出観音 [木曽路]

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大桑村から伊奈川沿いに少し入ったところにある“岩出観音”
ミニ清水寺が如く山腹に木組みで作られた舞台上にある。

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三百年ほど前、この地を訪れた侍に沓を頼まれた職人があいにく片方しかなかったので
後から侍を追いかけて残りの片方を渡したところ、その侍が代金受取を拒む職人に木片に「馬頭観音」と書いて渡し、これを崇拝すれば幸い来る…と言い残して去って行った。
その後その木片によるご利益がたくさん現われてこの“岩出観音”となったそうな。

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こんな山中に残された縁起話 聞いただけでほのぼのとしてくる。

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木曽 旧大桑村 [木曽路]

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久々に木曽へ足を運んだ。
まだまだ随所に雪が残り
少し分け入っては雪に阻まれ
そして戻りつ
澄んだ空気を吸いながら歩いた

ここ大桑の地は妻籠や馬籠とかとは違って
そのまんま木曽の空気が昔ながらに息づいている気がする。

藪の中にある蔵も
まだ使われているような気配があるし
赤いポストもけっして観光用ではなく
そのまま“実用品”

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木曽馬 [木曽路]

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 木曽路の中核の町といえばかつての長野県木曽郡木曽福島町。昔から関所、代官屋敷もあり宿場町としても栄えた町だが、そこからさらに木曽御嶽山の麓へ入ったところに開田(かいだ)高原がある。合併前は木曽郡開田村。開拓で築き上げてきた地域で昔はほとんどの家が板屋根に置き石板塀、ランプ生活という地域だった。自分が高校生の頃は“東洋のチベット”とか言われて週刊誌などに紹介されたかくれた観光地であった。
 高校生の頃リュックを背負って木曽福島の駅から徒歩で行ったことがある。まともに下調べもせずに行ったために何とか宿屋に辿りついた時はもう周りはほとんど暗かった。予約なしお金なしの高校生がそれでもなんとか頼み込んで泊めてもらった旅館で食べたそばが、めっちゃおいしかったのが思い出される。
 ここの売りはそばと木曽馬。とりわけ木曽馬は開田といえば木曽馬といわれるくらい必ずつきものとして紹介される。体系はずん胴で足は極端に短い。ロバに近いといったほうがわかりやすいか。粗食に耐えるし働き者で農家にはなくてはならない“貴重な働き手”であったのだろう。純粋種はもう何年も前に絶えているらしいが、かろうじて傍系(?)が残っている。地域で大切にその貴重な“血”を保護し育んでいる。

木曽の山中から天下を伺った武将あり [木曽路]

木曽路の中核となる宿場 木曽福島
合併後は木曽町
ここに かの“朝日将軍”と称せられた木曽義仲公の菩提寺がある
興禅寺である

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この奥深い山中にあって天下を志す
お見事
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烈婦 巴御前とともに
NHK大河ドラマにぜひ採用を…と
“誘致活動”をしているそうな
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※興禅寺
 木曽義仲公は久寿元(1154)年武蔵国(埼玉県)大蔵館で生まれた。幼名駒王丸。二歳の時父義賢は、兄の子義平に討たれたが、斉藤実盛のはからいでこの近くの上田にあった中原兼達の屋敷にかくまわれて成育した。元服の後、宮の越(日義村)に館を建てて移った。
 治承4(1180)年、以仁王の平家追討の令旨を受け、関東、北信濃の兵を集めて北陸より京都に攻め入り平家を追討。征夷大将軍となり、朝日将軍と称せられた。1184年頼朝の軍に攻められ、近江(滋賀県)栗津原で討ち死にした。年31才。遺髪を納め、分霊はここに眠る。源義仲とも呼ぶ。

 巴御前は27歳。「色白く髪長く、容顔まことに優れたり」と記される義仲の妻(愛妾とも)。荒馬「春風」に乗って風を切る彼女は、人一倍派手な鎧を着て、大型の弓と大太刀を自在に扱う美しき猛者。宇治川の戦場を13騎で脱出した時、前方に立ち塞がった敵将・畠山重忠をして「かの者は女に非ず、鬼神にも勝る」と言わしめ、追討を諦めさせた勇将だ。




漆器の町100%・木曽平沢 [木曽路]

台風12号が近づいている中
仕事の帰りに漆器の町 木曽平沢によってみる
雨がしょぼしょぼ降る中 傘がなかったので
車の中から 1ショット 1ショット
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かの敬愛する荒木のぶよし先生は
車から撮る写真を“クルマド”と名付けていた
それにならい さらに「ズボラ」の「ラ」という言葉を加えて
“クルマドラ”
〇〇の町 ナンタラ という名称は全国いたるところにあるけど
これだけ濃密に並んでいるところは珍しい
軒並み“漆器の町”100% なのである。
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中山道ぶらり(9) [木曽路]

シャッターを切るとき
縦位置か横位置か…であるが
大半は その対象が縦位置向きか横位置向きかによる
これはしごくあたりまえなことなんだけど
単純にそうともいえない時もある

人間の目は横に並んでいるから
やっぱり横位置が なんだか落ち着く
その意味でいけば縦位置は
恣意的なフレーミング と言えなくもない
あえて縦位置だけで写真集を作った写真家がいた

中には意図して斜めフレーミングで撮る人がいる
これは相当、その感覚に裏付けがなければ
ただただ 嫌味な写真になってしまう
やめたほうが無難だ

じゃ ましかく写真はどうだろう
これはけっこうむずかしい
どうしても主題が真ん中にいってしまう
変に中心をはずすと
見ていて妙にいらいらする写真になってしまう
まさに直球ど真ん中写真だ

そういえば絵にも縦位置横位置はあるけれど
真四角な絵はほとんど見たことがない
例外は 色紙絵か

掛け軸は究極の縦位置の絵だ
それも極端な縦細


旧中山道 十曲峠付近
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馬籠の石畳
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中央本線の駅 駅名忘失
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妻籠宿の夜 [木曽路]

近くに住んでいながら
まだ一度も宿泊の機会がない 妻籠宿
風呂上りに
からんころんと下駄を鳴らして
散歩でもしてみたい

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