台風
ビジネスで台風直撃予報の出ている岐阜へ向かった。
羽島IC出口でパトカーの厳重警戒。一般道も警官が列をなして警護していた。
そうだ昨日は岐阜清流国体の開会式で天皇皇后両陛下がお越しになられているからだ…と合点。
どうりでこの県民ふれあい会館も日曜日にしてはガラリ。
岐阜のメンバーさんに聞いたところ大垣の奥の細道むすびの地等へご訪問の予定が台風のため中止になったようだ。
羽島IC出口でパトカーの厳重警戒。一般道も警官が列をなして警護していた。
そうだ昨日は岐阜清流国体の開会式で天皇皇后両陛下がお越しになられているからだ…と合点。
どうりでこの県民ふれあい会館も日曜日にしてはガラリ。
岐阜のメンバーさんに聞いたところ大垣の奥の細道むすびの地等へご訪問の予定が台風のため中止になったようだ。
草間弥生と原色 [色と形]
昨日、主にニューヨークで作家活動をしてきた画家、草間弥生のドキュメントをテレビでやってた。
長野県松本市の裕福な家に生まれた草間は、小さい時からいわゆる統合失調症で、常に死の恐怖や幻覚に悩まされ続け、それから逃れるために絵を描き始めたそうだ。
番組の中でも常に「私が死んだら…」とか「死ぬ前に…」とか繰り返し繰り返し言葉に出していた。草間の描く絵の主なモチーフとなっている水玉は幻覚から身を守るために埋め尽くす儀式でもあるという。83歳の今もその幻覚と戦うかのようにキャンバスを原色の水玉で埋め尽くそうとする様子は鬼気迫るものがあった。
十年ほど前か、偶然隣町の飯田市でこの草間弥生の個展に出くわしたことがある。当日は草間はいなかったが近々その会場に現れるというようなことがPOPに記されてあったような記憶がある。
今草間の絵は一枚3.000万くらいだとテレビで報じていた。これもうっすらとした記憶だが、その個展会場では数万円程度の売値が記してあったような気がする。
そのグリグリ水玉だらけの絵が今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。出身が松本市であればこそ飯田という地方都市でも草間の個展は実現したのであろう。
買っとけばよかった…というのは下種のみっともない愚痴である。
この2点の絵柄は草間とは何の関係もない
知人宅のカーテンに映ったステンドグラスの影である。
長野県松本市の裕福な家に生まれた草間は、小さい時からいわゆる統合失調症で、常に死の恐怖や幻覚に悩まされ続け、それから逃れるために絵を描き始めたそうだ。
番組の中でも常に「私が死んだら…」とか「死ぬ前に…」とか繰り返し繰り返し言葉に出していた。草間の描く絵の主なモチーフとなっている水玉は幻覚から身を守るために埋め尽くす儀式でもあるという。83歳の今もその幻覚と戦うかのようにキャンバスを原色の水玉で埋め尽くそうとする様子は鬼気迫るものがあった。
十年ほど前か、偶然隣町の飯田市でこの草間弥生の個展に出くわしたことがある。当日は草間はいなかったが近々その会場に現れるというようなことがPOPに記されてあったような記憶がある。
今草間の絵は一枚3.000万くらいだとテレビで報じていた。これもうっすらとした記憶だが、その個展会場では数万円程度の売値が記してあったような気がする。
そのグリグリ水玉だらけの絵が今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。出身が松本市であればこそ飯田という地方都市でも草間の個展は実現したのであろう。
買っとけばよかった…というのは下種のみっともない愚痴である。
この2点の絵柄は草間とは何の関係もない
知人宅のカーテンに映ったステンドグラスの影である。
タグ:草間弥生
エクシブ八瀬離宮の意匠 [色と形]
サグラダ・ファミリアや桂離宮などを例に挙げるまでもなく
そのものが“アート作品”である建築物、構築物はいくらでもある。
その形はもちろん、色彩、使われている素材、空間、そして自然の採光、人工照明……
何よりもそこに身を置いて得られる充足感、昂揚感、安らぎ…
「7つの習慣」を世に送り出したジェームススキナーは
自分がプロデュースしたホテルに
1泊二百数十万円のスイートルームを作った。
そして
それだけの額を支払っても納得のできる部屋にするために
自分が実際に宿泊して
結果、二百数十のチェック項目を提示した。
エクシブ八瀬離宮で酔いにかまけて玄関前にさまよい出た時に
そのジェームスの言葉を思い出した。
この方は哲人なのである。 [Galaxy note]
こんな光景に結構、哲学とか、美学とか、動物生態学とか高尚なものが隠れているのである。
いいねえ、この堂々たる様。
ヒヨヒヨしかけている人間様寄っといで!
この方の前へ座ると
み~んな問題解決するよ。
なにせこの方は“尖閣列島”なんて どーでもいいんだから…
でも、「魚釣島」だけは気にかかるそうな。
「とりあえず 魚釣ったら 持ってきてくれ」と
おっしゃってました。
夏もぼつぼつかな…… [季節]
少し前の画像ですが
通りがかりの神社にふらっと立ち寄った時
夏と秋を同日に撮れました。
遅い 夏なのか
早い 秋なのか
通りがかりの神社にふらっと立ち寄った時
夏と秋を同日に撮れました。
遅い 夏なのか
早い 秋なのか
光に向かって
自分には従妹が大勢いて、ために、まだ若い一人身の者も結構いる。
そいつはみんなから“あっくん”と呼ばれて、まるでペットのように扱われていた。
ペットのようにというのは可愛いがられていたけど自分からは何も意思表示をしない…そんな奴であったということだ。こちらから何か話しかけても「うん」とか口にするだけでそれ以上の言葉は発しない。でもいつもニコニコしていた。
自分の考えとかはまるで話さない…“自分の意志というもの”はあるのだろうかなんてときどき思っていた。
その“あっくん”がB'zの大ファンだったことがわかった。熱狂的なファンで、もちろんファンクラブにも入っていて部屋にはパネルやらなんやらいっぱいあったようである。
そしてこれまたドラゴンズ大好きで荒木選手が大好きだったこともわかった。
そして一番驚いたのは常々ほかの従妹に「従妹会やろうよ」と言っていたことを聞いた時だった。
あの居るのか居ないのかわからない“あっくん”がである。
それを知ったのは 残念ながら彼がこの世の人でなくなってからであった。
夜中の交通事故。
なぜそんな時間にそんなところを走っていたかはわからないが、
事故から十数時間後に“あっくん”は逝ってしまった。
葬儀場にはB'zの曲が流れ
ひつぎには荒木選手の背番号2番のユニフォームが納められ
そして通夜の後
夜通し従妹たちと一緒に飲み、語り、“あっくん”と一緒に「従妹会」をした。
聞いていただろうか“あっくん”
奇しくも自分の誕生日に君を送ることになろうとは夢にも思わなかったよ。
9月13日は一生忘れられない日となってしまった。
今朝もらったあるバースデーメッセージに
「光に向かって頑張ってください…」という言葉があった。
斎場で骨ひろいの時間待ちに、まだ夏の日差しの強い森に向かって光に向かってシャッターを切った一枚である。
“あっくん”の最後の輝きのような気がした。
そいつはみんなから“あっくん”と呼ばれて、まるでペットのように扱われていた。
ペットのようにというのは可愛いがられていたけど自分からは何も意思表示をしない…そんな奴であったということだ。こちらから何か話しかけても「うん」とか口にするだけでそれ以上の言葉は発しない。でもいつもニコニコしていた。
自分の考えとかはまるで話さない…“自分の意志というもの”はあるのだろうかなんてときどき思っていた。
その“あっくん”がB'zの大ファンだったことがわかった。熱狂的なファンで、もちろんファンクラブにも入っていて部屋にはパネルやらなんやらいっぱいあったようである。
そしてこれまたドラゴンズ大好きで荒木選手が大好きだったこともわかった。
そして一番驚いたのは常々ほかの従妹に「従妹会やろうよ」と言っていたことを聞いた時だった。
あの居るのか居ないのかわからない“あっくん”がである。
それを知ったのは 残念ながら彼がこの世の人でなくなってからであった。
夜中の交通事故。
なぜそんな時間にそんなところを走っていたかはわからないが、
事故から十数時間後に“あっくん”は逝ってしまった。
葬儀場にはB'zの曲が流れ
ひつぎには荒木選手の背番号2番のユニフォームが納められ
そして通夜の後
夜通し従妹たちと一緒に飲み、語り、“あっくん”と一緒に「従妹会」をした。
聞いていただろうか“あっくん”
奇しくも自分の誕生日に君を送ることになろうとは夢にも思わなかったよ。
9月13日は一生忘れられない日となってしまった。
今朝もらったあるバースデーメッセージに
「光に向かって頑張ってください…」という言葉があった。
斎場で骨ひろいの時間待ちに、まだ夏の日差しの強い森に向かって光に向かってシャッターを切った一枚である。
“あっくん”の最後の輝きのような気がした。
在原の業平さんってご存知? [歴史]
在原 業平(ありわら の なりひら)は、平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。
六歌仙・三十六歌仙の一人。『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきたそうである。
けど、なによりも在原の業平といえば今でいうイケメンの代表選手!
昔から美男といえば業平、業平と言えば美男…美男子の代名詞のようにいわれてきた。
嘘か本当か知らないけれど(多分ウソ)私の曾祖父は木曽の“今業平”と言われたぐらいの美男だったそうな。
ハハハ……
この地は奥琵琶湖のそれももう三方五湖に近い地区に、今もひっそりと萱葺きのたたずまいを残す“在原の里”
業平が晩年過ごした地といういわれの真偽はともかく、今もこの景観のなかで住民のみなさんが普通に暮らしているというところが実にすばらしい。
回覧板を配ってきた奥さんがこの藁ぶき屋根の玄関で普通に世間話をしていた。
「在原の夏」
(私の100選)近江の厳島 [旅]
<以下Wikipediaより>
白鬚神社(しらひげじんしゃ)は、滋賀県高島市鵜川にある神社。旧社格は県社。
全国にある白鬚神社の総本社。近江国最古の神社とされる。沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居が浮かび、「近江の厳島」とも称される。
(祭神)猿田彦大神
祭神は人格化する際に白髪の老人になるというが、その端緒は当社の社名にあるという。社名から、長寿の神様として知られ、謡曲『白鬚』の舞台ともなっている。
歴史
社伝によると垂仁天皇の25年、倭姫命により社殿を創建したのに始まる。白鳳2年(674年)、天武天皇の勅旨により比良明神の号を賜った。
『延喜式神名帳』には記載されていないが、『日本三代実録』の貞観7年(865年)正月18日条に比良神が従四位下の神階を受けたとの記述があり、国史見在社である。
本殿・若宮社・伊勢両宮及び八幡三社は、豊臣秀吉の遺命を受け、豊臣秀頼が片桐且元を奉行に命じ、播磨の大工の手によって造営されたものである。
手水の龍にも立派な“白髭”が
今は百日紅 [季節]
モダンな人工の庭空間で
百日紅が主役になっていた。
こんな贅沢な空間にこの時期限定で堂々と主役をはっている。
秋には主役がもみじになり、春には桜になるのだろうか。
庭ごとごっそり模様替え……
ここならやりそうな気がした。
タグ:エクシブ京都八瀬離宮